OUR LOCOMOTIVES
関水本線在籍車両
0-6-0T "OLIVER" & "OLIVE"
ホハ10とともに
種類:蒸気機関車
製造工場:ベルギー国 アングロ・フランコ・ベルジ社
製造年:1948(昭和23)年
製造番号:2657
軌間(線路幅):762mm
重量:約13トン
状態:動態保存車
惜しまれつつ2018(平成29)8月31日に閉園となった長野県の野辺山SLランドには、日本一高いところ走る本物の蒸気機関車362号が活躍していました。
この野辺山地域の活性化にと、初代園長の薩田哲雄氏によって1985(昭和60)年に、台湾の台湾糖業公司の蒜頭糖廠(ルビ:さんとうとうしょう)から譲り受けたサトウキビを運んでいた蒸気機関車でした。しかし、日本では世界一厳しいボイラーの安全基準によって修理しても稼動させることができないため、苦肉の策として、新しい灯油ボイラーを搭載することになりました。よって、機関室後部が膨らんだ”ヤドカリスタイル”となり、再び走り出しました。ちなみに、この機関車の製造会社は日本になじみのないヨーロッパはベルギー王国のアングロ・フランコ・ベルジ社というところで、1948(昭和23)年に製造されました。
閉園後、関水金属が引き取ることになり整備のため富山市内の三越(ルビ:さんえつ)本社工場に入場し、より小型のIHI製造の新型灯油ボイラーを搭載し、全体的にKATO Railway Park・関水本線に相応しい改造を施し、新しい名称として「OLIVER」号となり、スタイリッシュな英国グリーンな装いとして、蒸気機関車として第三の人生?を歩み出すことになりました。
種類:貨車(発電機搭載)
製造工場: 三越
愛称:OLIVE
製造年:2024(令和6)年6月
軌間(線路幅):762mm
重量:1トン
状態:使用
野辺山SLランドからやってきた旧362号機の機関室をコンパクトにOLIVERとして改造整備するため、搭載されていた灯油ボイラー用ディーゼル発電機を外しました。そこで新たに製造されたのが発電機を搭載した貨車「OLIVE」です。
ベースとなったのは、台湾からやってきたサトウキビ運搬貨車の車輪とメタル軸受け、それに連結器で、台枠や車体は新造されました。ユニークな鋭角な屋根形状の車体は、英国のソルト(塩)を運ぶ専用貨車をモチーフとしたものです。
通常はOLIVERの次位に連結され、灯油ボイラーへと給電しているので、切っても切り離せない絶対的な相棒となっている車両です。
0-4-0ST EMESLETT "OSCAR"
まきば線まつり 2024,12,17
種類:蒸気機関車
製造工場:RASS FACTORY NARITA
製造年:2023(令和5)年
製造番号:
軌間(線路幅):610mm
重量:2.1トン
状態:現用
EMESLETT(エメスレット)とは、このオリジナルデザインの蒸気機関車に与えられた形式名です。デザインの源には、18世紀の英国で活躍していたパンチ・マガジンのイラストレーター、ローランド・エメットが描いた数々の蒸気機関車と、英国のナローゲージを象徴するハンズレット(Hunslet)・エンジンがあります。エメットの描く細長いチムニーやクッキー・ジャーのような砂箱、不安定そうなライト、丸い頭の縦型ボイラーなどを、ハンズレットのデザインでまとめたという感じです。
運転台に乗ってみたなら、丸いボイラーの上にごちゃごちゃと集っている部品たちを眺めてみてください。
どれも英国のアンティークショップやオークションで吟味して手に入れてきたものです。
特に小さなOSCARには大きすぎるくらいの汽笛は一番古いもので、おそらく製造されてからは100年は立っているでしょう。RASS FACTORYさんでダダ漏れだったエアーを調整いただき、これまた車両の愛らしさとは不釣り合いなくらいの低くて渋い音色を奏でます。
ひときわ目をひく船の舵輪は、船の舵を動かすパーツですが、エメットへのオマージュから蒸気機関車の加減弁(レギュレーター)として装着しました。
走るとくるくると回る丸いたまのような部品はガバナーといいます。
ガバナーとは、本来は蒸気エンジンの回転数を制御するものですが、オスカーのガバナーはボイラーの温度を感じてくるくる回ります。
ここから、少し難しい物理と工学の話です。その仕掛けはボイラー頂部に備え付けられた3個のペルチェ素子による。ボイラーの蒸気圧が5キロのときに、ペルチェ素子からは2.5ボルトの電気が発生してモーターを回しています。モーターとガバナーとは、輪ゴムと小さなプーリーで結ばれていて、ガバナーはボイラーの温度が上昇すれば早く回るようになっています。
沸騰した水の豆知識‥大気圧では100度の水が密閉されたボイラーのなかでは180度にもなります。温度が上がるとペルチェ素子はたくさん発電するので、ガバナーは早く回る‥という仕掛けです。
英国ナローファンは、腰を少しかがめてバグリー式のバルブギアーにもご注目ください。KATOから模型化される際にもここのところをお愉しみに。
OSCARはオリジナルの蒸気機関車なので、このように質実剛健の一般的な機関車よりも、面白さを優先させたアイディアに満ち溢れています。とてもこの場だけでは語り尽くせませんから、他の車両たちと一緒に一冊の本になります。模型が先か本が先か‥その辺りも愉しみにお待ちください。
コッペル532号機
ホハ10とともに
種類:蒸気機関車
製造工場:ドイツ
オーレンシュタイン・ウント・コッペル社
製造年:1928(昭和3)年
軌間(線路幅):762mm
重量:15トン
状態:静態保存車
埼玉県になじみ深い西武鉄道の初代山口線(通称おとぎ電車)で活躍していました532号蒸気機関車の出身は、OLIVER号(元362号機)と同じ台湾糖業公司で、サトウキビ列車を牽引していましたが、所属は異なり渓湖糖廠(けいことうしょう)という製糖工場でした。台湾から西武鉄道にやって来たのは1974(昭和49)年。長らく西武鉄道の所沢工場にて改造と整備を受け、山口線に入線したのは1977(昭和52)年となります。
製造会社は、ドイツのオーレンシュタイン・ウント・コッペル社で、1928(昭和3)年製造で、重量は15トン。もとも
と3軸(C形)でしたが、西武鉄道で同じくやってきた僚機527号機と同じ軸配置にすべく、後部に従輪がひとつ追加されC1形となりました。
軽便サイズであった山口線が案内軌道式鉄道の愛称:レオライナーというゴムタイヤで走る路線に生まれ変わることになり、1984(昭和59)年5月13日に初代山口線は廃止となりました。
その後、一時的に532号機はユネスコ村に展示されましたが、同施設が1990(平成2)年に廃園となり、はるばる北海道の遠軽町にある「丸瀬布こいこの森」に譲渡されました。
北海道に渡った532号機でしたが、KATO Railway Park・関水本線にやってくることになり、旭川市内の長谷川工作所にて整備を受け、2024(令和6)年5月に縁のある埼玉県内へと帰還することになったのです。
西武鉄道初代山口線で、専用客車であった木造で大正生まれの34号車と共に保存展示されています。
おとぎ電車(B13号)
関水本線展示室 2024,9.13 岡本憲之さま撮影
種類:蓄電池機関車
製造工場: 西武所沢工場
製造年:1953(昭和28)年
軌間(線路幅):762mm
重量:10トン
状態:動態保存車
埼玉県になじみ深い西武鉄道の初代山口線(通称おとぎ電車)で活躍していました532号
おとぎ電車という愛称で親しまれていました西武鉄道初代山口線。末期には蒸気機関車が走る路線として大人気でしたが、1950(昭和25)年の開通当初からの本当の主役は、凸型の蓄電池機関車が可愛らしい小型客車を牽引する列車が主役でした。
同路線廃止後、B11形蓄電池機関車のB13・B15の2両と、21形客車の22・24・25・26号車の合計6両は、大井川鐵道に譲渡され、しばらく千頭駅構内で走っていましたが、後に浜松市内の教会へ譲られていきました。
おとぎ電車を譲り受けた浜松市内の教会では当初は走らせていましたが、近年では放置状態となり行く末が心配されていました。しかし、関水金属が引き取ることになり、復元整備を目的として新トモエ電機工業御殿場工場に一旦入場となり、うちB13号蓄電池機関車と22号客車は登場当時の姿に復元され、動態保存となってKATO Railway Park・関水本線の一員として活躍する予定です。かつての仲間であった532号蒸気機関車と34号客車と共に、故郷である埼玉県内に戻るということは、蓄電池機関車にとっても嬉しいにちがいありません。
0-4-0 DL SHUNTER "BILLY"
種類:ディーゼル機関車
製造工場: 酒井工作所(現:酒井重工)
製造年:1954(昭和39)年
軌間(線路幅):762mm
重量:7トン
状態:動態保存車
神奈川県の東海道本線辻堂駅西口前にありました、関東特殊製鋼(通称:カントク)という特殊鋼材を製造していた工場内の専用鉄道で使われていたディーゼル機関車です。製造は酒井工作所(現在は酒井重工業株式会社)で、1964(昭和39)年製の重量は7トン、車番「社内車065号機」でした。同工場で廃車後、野辺山SLランドに引取られました。
土日祝祭日の蒸気機関車運行とは別に、平日運行に同園廃止まで使われていました。
今回、新しい所有者として鉄道模型メーカーの株式会社関水金属に引取られ、整備され装いも新たにBILLYとして生まれ変わりKATO Railway Park・関水本線の一員として再び活躍することになったのです。
2号車(旧22号車)
オープン客車である1形7号車。復元される2号車(旧22号車)もこのような形状となる予定。1982年5月 写真/須永秀夫さま
浜松の教会にて留置されていたころの22号車。かなり腐食が進んでいました。
2023年3月 写真/岡本憲之さま
種類:オープン客車
製造工場: 西武所沢工場
製造年:1950(昭和25)年
軌間(線路幅):762mm
重量:2.8トン
状態:動態保存車
1950(昭和25)年の西武鉄道初代山口線の開通に合わせて西武所沢工場で作られた同線専用の39人乗りのオープン客車1形は、元日本陸軍鉄道聯隊で使われていた91・97式軽貨車を改造して軌間762mmとした台車を履くという珍しいものでした。1形のうち、何両かは密閉式の客室に改造され21形となりました。
今回、B13蓄電池機関車と共にRailway Park・関水本線へとやってくる22号客車は、元1形2号車であったもので、機関車も登場当時のスタイルに復元するのに合わせ、同車もオープン客車時代に復元されました。
ちなみに西武鉄道初代山口線廃止後、各地を転々とするうちに、腐敗などの車体の痛みが激しくなり、大規模な修復が必要となったので、思い切って製造当時のオープン客車時代へと復元するはこびとなったものです。担当は、蓄電池機関車の復元修復と同じ新トモエ電機工業御殿場工場にておこなわれ、登場当時の姿になった”おとぎ電車”のオープン客車を懐かしんでください。
34号車(旧ホハ10)
種類:木造客車
製造工場: 内田鉄工
製造年:1921(大正10)年10月
軌間(線路幅):762mm
重量:3.3トン
状態:動態保存車
西武鉄道の初代山口線(おとぎ電車)にて、532号機などの蒸気機関車牽引専用として廃止となった岡山県の井笠鉄道から西武鉄道初代山口線に入線してきた木造の軽便鉄道客車8両のうちの1両が34号車です。元井笠鉄道ホハ10であり、製造はなんと1921(大正10)年という100年以上も前に作られた車両で、歴史的価値がとても高い車両です。
同路線廃止後、一旦はユネスコ村駅構内に保存されましたが、同園廃止後はダブルルーフ屋根という製造が古いグループ4両のうちの1台として西武園ゆうえんち内のレストランポッポにて列車食堂に改造され使用われていました。しかし、この施設も廃止となり園内留置となっていたものを、2011(平成23)年6月に新天地へと移動され栃木県内で保管されていました。その後、関水金属に引き取られることになり、同社鶴ヶ丘新倉庫内で大規模な復元修復作業がおこなわれ、西武鉄道初代山口線時代の仕様へと美しく復元されました。
この34号車は動態保存車であるので、他の機関車に牽引され、関水本線上での走行が可能となっております。
西武鉄道初代山口線で活躍していた頃の34号車。1982年5月 写真/須永秀夫さま
関水金属の鶴ヶ丘新倉庫内にて復元整備されていた34号車。外周の木材はほとんど交換されることになった。2024年1月 写真/岡本憲之さま
BATTERY CAR
SHUNTER "IWASHI"
あしおトロッコ館で整備を待つ0.6トン蓄電池機関車の「IWASHI」号。関水本線の中では一番小さな機関車となります。2020年 写真/岡本憲之さま
種類:蓄電池機関車
製造工場: ニチユ(日本輸送機)
製造年:1980(昭和55)年
軌間(線路幅):610mm
重量:0.6トン
状態:動態保存車
Railway Park・関水本線の保線用として仲間になった自重0.6トン(600kg)という超軽量で小型の蓄電池機関車です。この車両、バッテリーフォークリフトの製造で有名なニチユ/日本輸送機(現在は三菱ロジスネクスト)で製造されたもので、もともとは鉱山鉄道等の坑道最先端に分解して運び、現場で組み立てられるように開発されたものです。メーカー形式は、Battery Locomotive(バッテリーロコ)=略してBLの中間に、小さいという意味のminiの頭文字であるMを入れた” BML0.6-H-線路の幅”となり、関水本線に入線する「IWASHI」号は、軌間610mmであるので、メーカー形式は、BML0.6-H-610となります。
また、機関車の部品には、同社製のプラッターと呼ばれるフォークリフトのパーツが多用され、整備など簡略化されています。
関水本線では保線作業の他に、次位に木製箱トロ等を連結させ、沿線の落ち葉拾いに。また、本線走行前の警戒巡回用等として、さまざまな雑用をこなす動力車として活躍が期待されます。
オープン客車
BRUNO & NELL
富山の三越本社工場にて整備改造を受けRailway Park・関水本線に到着したBRUNOとNELLのベースとなる2軸下回り。2018年9月 写真/岡本憲之さま
種類:客車
製造工場: 三越と高橋組(英優建設)
製造年:2024(令和6)年6月
軌間(線路幅):762mm
重量:1トン(1両)
状態:使用
旧362号機(現在:OLIVER号)と共に、野辺山SLランドからやってきたオープンと密閉客車の2両の車輪・連結器・一部の台枠を整備し応用し、車体を新造したのがBRUNOとNELLという2両の双子客車です。今回、この2両の客車のモチーフとなったのが、英国はマン島にある保存鉄道Groudle Gien Railwayのオープン客車です。
この客車のベースとなったのは、台湾のサトウキビ運搬貨車であり、野辺山時代は貨車の上にオープンスタイルの客車に仕立てられた2両として使われていましたが、そのうちの1両が温室のようなカマボコ型密閉客車となっていました。
車輪・連結器などの再整備に、台枠の補強などの整備は、OLIVERと発電機貨車のOLIVEと同じく富山市の三越が担当しましたが、上回りは西武鉄道初代山口線の34号木造客車の復元修理を担当した高橋組(英優建設)が担当しました。
これで、野辺山SLランドの主力車両たちは、すべてリフレッシュされ、Railway Park・関水本線の重要な一員として活躍することになります。
TRASH WAGON
"HERON&POE"
住友セメント(現在は住友大阪セメント)唐沢鉱山、原石運搬軌道にて活躍していた頃の鉱車。牽引しているのは日立製作所製の10トンディーゼル機関車。1968年 写真/須永秀夫さま
原石運搬軌道の終点であった唐沢鉱山前に、レールが敷かれている小屋のなかにしまわれていた元2軸鉱車の平トロ2両を救い出しました。2022年 写真/岡本憲之さま
種類:貨車と客車
製造工場:不明
製造年:不明
軌間(線路幅):762mm
重量:1トン(1両)
状態:動態保存
栃木県佐野市の葛生地区には石灰石を採掘している鉱山が数多くあり、かつては至る所からトロッコ軌道が伸びていました。そのなかでも比較的近年まで走っていたナローゲージの鉱山鉄道というのが、住友セメント(現在は住友大阪セメント)唐沢鉱山の原石運搬軌道でした。
区間は唐沢鉱山から東武鉄道会沢貨物線の上白石貨物駅に隣接している栃木工場に至る3.3キロの単線非電化路線で、軌間762mmによる路線でしたが、石灰石を運ぶ新しい輸送システムのカプセルライナーに置き換わることになり1980(昭和55)年12月30日に廃止となりました。
その廃止後、レール撤去をするために昔使われていた2軸鉱車の2両を、鉱石を搭載する鉄製の箱を外し平トロとして撤去作業に使われていました。やがて、作業が完了すると唐沢鉱山の手前に作られていた小屋の中に仕舞われました。軌道が失われてから40年以上の時が経ち、そのトロッコ達のことも忘れられていた今、山奥で眠っていたトロッコを救い出し、Railway Park・関水本線の一員として向かい入れるために、住友大阪セメント唐沢鉱山のご理解のもと、2両を譲って頂きました。
この2両ですが、鉱石を積んでいた箱が失われ、軸受けなどの整備が必要なことから、同じ栃木県内の「あしおトロッコ館」に協力を依頼し、整備・改造することになりました。1両は、トラッシュワゴンとして、イメージとしては昔のナローゲージモデルのエガーバーンの箱型トロッコ風に、愛称は「HERON」もう1両は、背中合わせの横長の椅子が取り付けられたオープン客車として整備予定で「POE」と名づけられます。
"CARROLL"
(箱トロ)
製作される木製の箱トロ予定図。
種類:貨車(箱トロ)
製造工場:せんろ商会
製造年:2024(令和6)年
軌間(線路幅):610mm
重量:0.5トン
状態:現用
芥川龍之介の小説「トロッコ」に出てくるタイプなこの車両は、平らな木製トロッコの上に同じく木製の枠が載っかり、土砂などを運搬するもので、その姿からは”箱トロ”と呼ばれるものです。
その昔、全国各地の土木工事には、原始的な機械力としてトロッコが重宝されて、箱トロが主力となり運搬作業に大活躍していました。いつしか、タイヤ系の重機に置き換わりトロッコ軌道を使った建設工事は見られなくなって久しいです。
Railway Park・関水本線では、そのむかし懐かしい箱トロを現代に蘇らせます。通常は、土砂などを入れての運搬作業ですが、台枠に載っている木製枠の箱を外せば平トロに変身するもので、各種の工具などを運搬するのにも役に立ちます。
この令和の時代に再び作られる関水本線の箱トロは「CARROLL」という愛称となり、0.6トン蓄電池機関車「IWASHI」に連結され活躍することが期待されています。
"RACHEL"
種類:客車
製造工場:RASS FACTORY NARITA
製造年:?
軌間(線路幅):610mm
重量:?
状態:動態保存
実際に使われていたナベトロの下回りを利用して、背中合わせの座席を取り付けた2軸の小型オープン客車。OSCARの嫁入り道具として関水本線へやってきてくれました。
The Seibu Yamaguchi Line cars gathering together was not the original intention;
It would be more accurate to say that the vehicles naturally gathered together.
Steam locomotives used to run on the Seibu Yamaguchi Line as a matter of course.
I want to make the Sekisui Main Line something that people of the generation who don't know such scenes can feel nostalgic about.
We have come this far with the cooperation of many people in preserving, restoring, and manufacturing the locomotive.
Hokkaido Engaru Town, Ashio Trolley Museum, Seibu Railway, Rasu Jijin Railway Association,
Tiny Engineering, Mr. Okamoto of Senro Shokai,
And to Tsurugashima City, Saitama Prefecture, which has received great understanding,
Thank you again.
In addition to the above, there are locomotives, passenger cars, and freight cars on the Sekisui Main Line.
Usually the vehicle is resting in the engine shed or exhibition room,
Some vehicles are also used for garden maintenance.
You may suddenly see one of these small vehicles while passing by.